もしも本能寺の変がおきなかったらどうなってた?「信長が天下統一?」「世界進出して覇権」「鎖国も無く日本は侵略されてたかも」
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本能寺の変
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である[12]。
信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた[12]。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、まもなく火を放って自刃した[13]。これにより織田政権の中心人物が失われ、6月13日の山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉が豊臣政権を構築していく契機となった。
引用・出典:
Wikipedia – 本能寺の変
ことができれば、やはり信長の天下統一は成し遂げられたのだろうか?
抵抗らしい抵抗もなく簡単に日本統一してたよ
でもその後の信忠からの先の政権維持は推測できない
秀吉の全国統一がそれを証明してるんだが・・・
そんなことさえ分からんとは・・・
まあ、毛利は配下にはいっただろうけど、そこから先は未知数だな
他にも裏切り者が出る可能性は高い。
①安土城(ここ界隈が首都)が現存している
②秀吉、家康はいち武将のまま
③勝海舟や坂本龍馬の出現もないし 忠臣蔵(刃傷松の廊下)も起きない。
織田家家臣は光秀以外で誰かが裏切るのだろうか?
もし天下統一すれば、信長はどうしたのだろうか?
嫡男信忠に家督は譲るのだろうか?
もし、十年以上長生きしたら海外に攻め入ったのであろうか?
それとも蝦夷(北海道)を開拓するだろうか?
問題は、その後の信長政権がどのような方針を取るかだな
俺が思うに、官僚制になる。
なので配下武将の持ち国制度や血筋による相続がなくなる
で、家康と違うのが信長は天皇を安土城に住まわせてる
これは、どう見るべきか?
天皇の存在を自分より上と位置づけ存続させるのか?
それとも義昭と同じ様に、ゆくゆくは廃止するのか?
俺としては後者になって欲しいが、信長の真意は如何に?
後、朝鮮出兵は確実に行うとして、その成功率も秀吉より高かっただろうから
歴史が大きく変わっていたのは事実だろう
秀信では治めきれずに内紛起きそうな予感。
もしかしたら、きっちりと帝王学を叩き込んで名君になったかもしれないし、
次男ができてそっちのほうが優れてるかもしれないし。
ところで、信孝も中々の人物みたいだったけど、信忠との仲はどうだったのかな?
それは俺も知りたいな
俺は思わないな。「世界」についての理解は誰よりもしてただろ。
国内統治はいわゆる軍団長制をそのままスライドして、与力大名を統括する。
九州に羽柴、山陰に明智、山陽に信孝、四国に信澄、北陸に丹羽
北関東に毛利(秀)、南関東に滝川、東北に柴田。
信長・秀吉の特徴として守護大名を守護代級にとって替わらせ細分化を狙うので
島津は北郷・伊集院・肝付・頴娃・平田らに
大友は秋月・高橋・立花・臼杵・田北らに
上杉は成田・河田・真田・本庄らに大分割。
毛利・北条ら守護でない大勢力は家名を残して細かく分割。
1584年毛利滅亡、同時期に信孝、長秀らが四国を攻略。
関東は、家康、一益、秀隆、秀頼らに仕置きさせる。北条は信長に恭順していたので、相模・武蔵半国で一益の与力に。
家康が肥前につれてきた兵は3000程。同じ関東常陸の佐竹は5000を命じられている。
もし、順調に進軍していたなら、蒲生・堀・上杉とともに渡海していた。
留守居は前田だったと思う。
ただ、食料・船が足りず、小物・下級武士の逃亡が多発したため、戦線が杭着して秀吉本隊が渡航する前に秀吉死亡。
もし、秀吉が生きて渡海していたなら、さらに4万近い軍勢が朝鮮に行ってた事になる。
しかし、朝鮮・金国・明あたりを制圧すれば…
あるいは、ムガルや南蛮諸国でなびく所もあるかもしれん。
ひろい大陸を支配するとなると…日本の武将だけでは足りぬ。信頼できる現地武将を登用できるかが鍵じゃろな
半島統一。
肥前名護屋に有力大名の参集。まず、朝鮮に降伏の使者をおくる。
断られた所で、第一陣の朝鮮出兵。総大将は柴田勝家!一気に攻めず、南朝鮮に橋頭堡を築く。
同時進行で、国内では造船を急ぐ。
食料・武器弾薬を朝鮮に自由に送れるようになってから、本格的な進行開始。
黄海側を北上する部隊は、羽柴秀吉を大将に、鍋島・島津・相良・立花・有馬・五島・宗などの九州勢。兵力は35000。
また、織田信孝を大将に九鬼・久留島・長曽可部・神戸・木造・関などを引きつれ琉球を制圧。そのまま、ルソンに向かう。
しかし、そこからルソンへと武力で侵攻するのは浅はかだと思う
余りにも遠方すぎるし、日本の海軍はそこまで強くなっていない
そしてスペインやポルトガルの動向も気になるし
ルソン攻めは秀吉の朝鮮出兵の二の舞になりそうだ。
それと明攻めも、女真族の反乱が起きるまでは日本単独の力では無理だと思う
朝鮮、琉球、高山国、蝦夷
これくらいだと思うよ
その後、信忠が意思を受け継ぐなら本格的な明攻め
東南アジア諸国への侵略と繋がって行くとは思うけど・・
朝鮮南部は死守し、そこに新進気鋭の武将を現地に根付かせ、絶えず明を攻めつずける。
史実でも、文禄・慶長の役では明国内では大規模な内乱が2度起きてる。
それを前提にすれば、その勢力と提携し、明を崩壊させた後、反乱勢力を各個撃破するか、臣従させればよい。
イギリス、イスパニアと覇を競っている。ヨーロッパに駐屯している兵力を、むけられると…
勝負は五分以下。
戦線は拡大しすぎず、民衆を味方につける事。外洋でイギリス、イスパニアと戦えるだけの艦船も必要になる。
舟手奉行の必要性、重要性が国内戦に比べて格段に上がる。
あぁ…ヨーロッパまで進軍するには、30年はかかるな
エゲレス・イスパニアの両国は対立してなかったか?
信長ならどちらかの勢力と同盟を結ぶだろう。
極東とまで言われた世界の果て。
その極東の小さな島国のために陸路の露軍や海路の英・西軍などが大軍を差し向けるのか?
それでなくても隣国が敵の状態なんだからそうそう極東に兵力を回せないと思うが。
そう考えれば当面の敵は朝鮮・明・モンゴルぐらいじゃないか?
白人以外は人間じゃないって思ってたくらいだから。
ロシアは明・モンゴルを制圧しだしたら、必ず衝突する事になるだろう。ロシアの侵略癖は今も昔も変わらない。
同盟を組むとしたら、反キリストのオスマントルコあたりだろう。
ムガルや南蛮諸国は同盟相手としては軽すぎる。
この時期のロシア皇帝ってイワン雷帝かな?
ロシアは、この時代関係ないと見ていい
関係ある諸外国としては
イスパニア・ポルトガル・オランダ・イギリス
明・朝鮮・高山国・東南アジア諸国、これらだね
因みに、この頃、ポルトガルはスペインの統治下にあるから
アジアの貿易圏を巡ってオランダvsスペインvsイギリスとなっていた
断られた所で、第一陣の朝鮮出兵。総大将は佐久間信盛!攻めたり退いたり相手を困惑させるそして相手の士気を低下させる。
第二陣の朝鮮出兵は総大将は柴田のかっちゃん!とにかく相手に突撃して蹴散らす。第三陣の朝鮮出兵の総大将は秀吉。
力が無くなった明軍を人心掌握の上手い秀吉が丸め込む。そして占領。
秀吉なんか信長のやろうとしたことぱくっただけだろ?
朝鮮も大坂城も
そして豊臣政権のような有力大名との連立政権ではなく
あくまで織田家の一党独裁を基礎にした国内政治であったと思われるから
元々その地を支配していた大名達を尽く滅ぼすか縮小し
織田家の家臣団を当てるのは想像に難くないだろう
では、どのように割り当てるか?
まず信長が日本平定後、真剣に朝鮮出兵や海外進出を目論んでいたのなら
日本旧来の国割りでは余りにも規模が小さく計画にそぐわない
なので、今で言う道州制への移行が考えられるね
関中道・・織田信孝 北陸道・・柴田勝家 関東道・・織田信雄 東北道・・滝川一益
史実では信長は信孝が四国平定後に、その地を統治させようとしてたらしいけど
日本を統一した暁には主要三道である関西、関中、関東は肉親により統治させるのが妥当だと思う
事実、信長は肉親には、かなり甘い一面を持つ(信行を除き)
そして注目してもらいたいのが、柴田と丹羽よりも秀吉や光秀の方が石高が高いという点
家臣団No1だった佐久間父子の追放然り、足軽上がりの秀吉を抜擢すること然り
信長は働きのある配下を優遇するとともに無能な配下を切り捨てるということを徹底して行った
同時にそれは、膨張する有力家臣の芽を摘むという働きも担っていたと思われる
なので、家臣団トップ2である柴田、丹羽の権威が大きくなることを避け
中途採用の羽柴や明智を上に持ってくることも充分有り得たと思われる
毛利制圧後は九州の島津討伐も当然流れとして、秀吉が責任者として赴くはずだから
信長としては統一後、やはり秀吉の能力を一番認めざる負えない結果になると思われる
では、一番功のあった配下を九州に配置するのは当然として
具体的にその後、どうなったか?それは、この後に説明してみよう
羽柴には、筑前を中心に九州北東部。
丹羽には、肥前、肥後。明智には、日向をはじめ九州南部。
奥羽越後の北日本に、柴田、滝川と。
有力家臣を組下与力と共に封じて、家臣の力を抑制したのでは。
家康も、房総半島三カ国ぐらいに転封が自然。
毛利、北条、上杉、伊達、長宗我部、島津らは、史実でも、中央勢力に反抗的態度で挑戦してきたので、信長相手なら滅亡。生き残れる外様の国持ち大名は、大友、佐竹ぐらいか…。
関東から中国四国地方にかけては、織田政権の直轄地及び一門の領地。
その後は、唐入りするのか、それとも東南アジア進出か?
個人的には、東南アジア進出で、大東亜共栄圏を築いてもらいたい。
ありがとう
あと、友好関係にある北条も滅ぼすか・・・
でも、妥当かどうかは抜きにして
このくらいの覚悟でやらないと、安定政権は造れないね
信孝・丹羽・宇喜多に中国中部・西部。
畿内は信忠ら一門衆に。
伊勢・志摩・三河と尾張の一部を蒲生。
遠江・駿河を信雄。
美濃と残りの尾張は三法師(成人するまで有楽斎あたりを代官)
信濃を森一族。
上野・下野に徳川。
伊豆・相模・武蔵・上総を北条。
常陸は佐竹。
北陸は柴田一派
東北は用済みの家老など(目付け滝川)
残りの領地は織田家直轄。
で、仮想敵国は明って感じで西日本強化って感じ。
それよりも、信長側近とか、信長直属軍の指揮官を任命されて、せいぜい10万石前後の大名ぐらいの扱いじゃないかなぁ。
ちょうど、秀吉の五奉行とか、子飼いの武将らのような感じで…。
基本的に大名を踏みつぶしていくやり方では時間がかかりすぎる。
生きている間にはできない。
秀吉のように懐柔して傘下に収めるしかない。
信長が長生きするとわかりませんが。
・海外に出征する前に蝦夷を開拓し、琉球を攻めるのだろうか
・天皇をどのように扱うか
合理的な性格だから、朝鮮を攻めても何のメリットにもならないだろうと考えそうだし。
メリットがあるなら東南アジアのルソンを攻めると考えそう。
まあ、天皇廃止はないだろうな。比叡山と違って天皇には武力ないし。信長は敵対者は粛正するが、権威は利用する合理主義者だからな。キリスト教の布教も許してるし。
事実、信長は後年、南蛮の宣教師とばかり密に相談していたらしい
蝦夷、琉球は征服したとして
次は高山国か朝鮮だろう
そして東南アジア諸国に対しては、まずスペインやオランダなどと同じく交易重視から始めると思う
けど、熾烈なんだよね。この辺の制海権争いが・・
朝鮮の征服は磁器や陶器などの交易品不足を補うためと奴隷の確保の為、武力制圧するだろうが・・
江戸時代も鎖国も無く、日本はどこかに侵略されて、国は無いの?